Lesson

読んだり、飲んだり

Your name .

今になってようやく観に行った。映画館に行くことじたい久しぶりだったので、それなりに楽しみにしていたのだが、肩透かしをくった気分だ。

よくできてたんじゃないかとは思う。

ただ、絵面も含めて説明しすぎじゃないかとも思う。始まってすぐ、思わせぶりというかいかにも核心めいたことが、ナレーション(しかもユニゾン)で語られたときはどうしようかと思った。「今から奇跡が起こりますよ」というような予言を受けずとも、そもそも映画を観る側はそれを目的にして来るし、映画を観るってことじたいが奇跡的な体験ともいえるんじゃないか。知らんけど。

同じようにおばあちゃん(一葉)の組紐の話も素直が過ぎるように感じた。口噛み酒をお供えに行く途中で、おばあちゃんがいきなり中島みゆきの歌みたいなことを言い出したときにはちょっとがっかりした。あそこで語られた「結び」がつまりこの映画の骨子で、まさにその通りに作られている。わざわざ冒頭からずっと細かく錯時的な見せ方を織り交ぜてたのはさながら絡まった糸といったところなんでしょう。知らんけど。

さすがに絵そのものは綺麗で、いろいろ細かく描き込まれている。ただ綺麗一辺倒で飽きる。瀧君の行動範囲はなんであんなにキラキラしているのか。黄昏時が重要みたいだから仕方がないが(「誰そ彼」だって。どうするよ?)、東京の場面は夜の印象が薄い。あったっけ?

たくさん描き込まれた細部は、どれもしっかりとした意味に接続する。だから特に言うこともない。困る。隠れミッキー的な遊び方をするか、キャラ萌にはしるか。

一番がっかりしたのは、入れ替わりが水宮の巫女に代々伝わっていたっぽいことが明かされるところである。それまでこっちとしては、誠に勝手だが、目覚めたときになぜか泣いていたときのような、夢での出来事が感覚としてなんとなく身体に残っているということが時空間を超えたどこかの誰かとのつながりを示すのかもしれないというロマンを楽しんでいた。現実にしばしば起こるあの感覚が、誰かとつながっていることの証だとしたら、それはなんと夢があることだろうか。それはさながら海に手紙の入ったボトルを投げ入れるあのエモさに通じる。ところが、この映画において受け手(同時に投げ手)はもう決まっていた。古来よりその土地の神に仕える巫女だったのである。隕石に縁のあるこの地の神は、迫りくる彗星の危機を知らせるために代々の巫女に入れ替わりの力を授けるのだ。つまるところご託宣なのだ。そしてそれは彗星が落ちてくる直前、三葉の代でようやく実を結ぶ。

もはや「ノアの方舟」である。あったらいいな、夢があるなと思って観ていたものは結局、選ばれし者の特殊技能だったのである。(瀧君はそういった能力を持っておらず、純粋に選ばれた側なんだから、我々も巫女とつながるチャンスはあるとみるべきか)

もちろんこれは言いがかりだ。映画で起こったことが自分の身にも起こるなんてことはまずない。ほとんどの映画が選ばれし者の話なのも知っている。だが、ズルいなと思ってしまった。結局、そっちの話かと。自分に起こった一目惚れやデジャビュといったものに壮大な物語の可能性を贈ってくれるのではと思ってしまった。

きっと神を信じたり、感謝したりする心が自分には足りなかったのだろう。いまいちノリきれなかった理由がそこにもあると思う。

物怖じ

どんな文章であっても、口を出すのはなかなか怖い。そんなものがあるわけないと知ってはいても的外れになってしまうことをどうしても気にしてしまう。

だからできるだけ技術や論理に目を向けようとする。しかし、それは共通のコードが強く働いているときだけしか有効ではない。一見、一般的で確固たるもののようである技術や論理が実はそうではないだろうことくらい(言い過ぎかもしれない)わかっている。それらを見出す自分の主観がはっきりと存在することも。当然である。

そういったコードが見えづらい種類のものを語ることは自分にとってとても難しい。そして、その最たるものが詩だと思っている。仮初の一般性に身を隠すことが許されないものに直面したとき、そこには自分の感性が強く出てしまうのではないか。どれだけ理屈っぽく語ったところで、その理屈を支えるのは自分ひとりであって誰の威を借ることもできない。

自分の鈍麻した感性が披瀝されてしまう。抽象的な表現であればなんでも「詩的」と呼んでしまいかねないような、前衛的な美術作品を「よくわからない」と評し、しかもその「よくわからなさ」のためにありがたがるような、そんな感性が顔をのぞかせてしまうのではないか。それが怖い。こういった感性は今もなお自分のなかにあるだろう。対象物を様々な領域――わかったほうがよいこととそうでないこと――へと区別することでそれを堰き止めてきたのではなかったか。

読む力というのはその対象を自分に引き寄せる力のことだとも思っている。しかし、寄せる自分が頼りなければどうしたらよいのか。うまくできる人は本当にすごいと思う。自分はすぐにはそうなれないだろう。

今回はそれでもなんとか読んでみようと思う。練習としてというと聞こえが悪いが、いずれ続く第二、第三の詩集に向けて、今回はどうしようもなさを引きずりながら大事に読んでいこうと思う。そのために、とりあえず栞文は読まずにおく。たぶん彼らの感性に頼りたくなるから。ごめん。いずれきっと。

敗北宣言

3年目、やります。

うっかり認めてしまったら楽にもなったが、一方でプライドの置き場に困っている。大事の前の小事、高く跳ぶためには低く屈まなければといってみたところで、やはりうまくできなかったことに目がいく。

決定的な能力の不足。棚上げにはできない。ちゃんとやってるやつはちゃんとやってるんだ。他人と比べるなとか自分のペースでとか、それが重要なこともあるのは知ってはいても、この場合は違うだろうと思う。

焦りも後悔もある。それでもなおと開き直るのもどうだろうか。自分の周りの状況を引き合いに出して自罰的に振舞うことはいくらでもできるが、どうにも落ち着かない。

やはり敗けたのだなと思う。相変わらず馬鹿な認識だが、これが一番しっくりくる。翻って、そもそも今まで勝てたことなどあったのだろうか。慰めにもならない。

自分を許せという言葉をかけてくれた友人には感謝しているが、無理そうだ。しかし、そういう言葉に甘えられる瞬間はちょくちょく欲しい。どうしようもない。

来年はできるだけ動く年にしたい。負荷をかける必要があると思う。留まり方にも良し悪しがある。留まって失敗するのはもういい。

最後だけ妙にポジティブだ。がっかりする。

散歩

Instagramの使い方がやっぱりよくわからなかったのでこっちにあげる。

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譜面台を持参し川に向かってトランペットを練習している女の子が何よりも素晴らしかったが流石に撮るわけにもいかず、そばの階段に座って煙草をふかしながら、音階をだんだんと上げたり下げたりする基礎練習を延々と聞いていた。

そろそろ酔い

酒にあかせて書いてみようかと思って見事に失敗している。

新しく始めたバイトは正直、つまらない。自分がいる意味が特に感じられない。仕事の内容も一人でできる。家でもできる。社員の皆さんはいい人。同族の匂い。

ラジオばかり聞いて過ごしている。地上波もネットも。お便りは思いつかない。自分にそう大したネタがなく、頭の回転も鈍いことが再認識できてよかった。気持ちの充実がリスナーの耳へと。

結局、ブロックバスターものが好き。しかし、書いてきたものはすべて越えるべき壁を越えられず錯乱する話か、越えられないということを認めてそれを良しとするものばかり。乗り越えて成長というエンターテインメントの基本を守ってみたい。

友達の家のギターはどうしてこうも鳴りがいいのか?音楽に詳しくない友人のため、ハロプロの曲をいくつか覚えた。「情熱の薔薇」をなぜ弾かなかったのか。もう一度行こう。今度はもっと良いワインを持って。

弟が帰ってきたが、これはまぁ今度。

文フリの申し込み、すっかり忘れてた。今日やった。抽選落ちたらどうしよう。出ないのは別に構わないんだけど紙にしたいなぁ。

スマホが古すぎてポケモンGOは出来ない。

ゴジラはもうちょいしたら見に行くよ。

教え子が地元から離れないから、社会人から中学生までみんなと会う。

さっき瓶が空いた。もう寝ます。

物欲

最近、むくむくと物欲が湧いてきて困っている。今回は文房具を少し買い足した。その中でもわりと当たりというか発見だったのは、0.7mmのボールペンが意外に使いやすかったことだ。今までずっと0.5mmばかりを使ってきていたが、よく考えれば私の字は確かに大きいので細いペン先で書いているとどうも見栄えが悪いというか惨めであって、しかも掠れたりもしていた。速度も出ない。こう考えてみると自分が0.5mmを使っていたことが不思議に思えてくる。

あわせてA4のノートを買った。スケッチブックで有名なマルマンのものだ。流行りにのって方眼のものを買ったが果たして使いこなせるだろうか。いいノートを買うと必ず、土台無理な話であるというのに綺麗にまとめたくなってしまう。アイデア出しの為に使うというが、そういった使い方をするとトピックがページの中であちらこちらに散ってしまうのはきっとあまり賢くないせいだと思う。

あとはポストイットの超徳用パック。本に貼る用ではなく、メモ帳の代わりにできるような大きめのやつだ。450枚ともなるとまるでブロックである。とにかく書き散らしていきたい。

他にもいくつかタスク管理アプリを試してみたり、Gmailを整理したりしてみた。こちらはわりと早く飽きるだろう。まぁ、ものは試しである。