R.I.P.
わからないといって読まずにいたものを、少しずつ読んではやめるといったことを繰り返してだいぶ経った。
読んだといえるのかどうか、見たということもあやしいかもしれない。
最初は作者を徹底的に排して、そんなものはいないというフィクションのなかで読もうと思った。なまじ書いた人を知っているから。
綺麗だと思ったと同時に不穏だった。救われない感じがした。周りの友人がこの作品集を褒めるとき、それに積極的な態度を見せなかったのは、単に天邪鬼だっただけではなくこの不穏さのためだったと思う。しかし、評価しないというのとは違う。底抜けに明るく、希望に満ちていなければならないなんて毛ほども思わない。
全編に漲る静謐さは眩しいくらいに恐ろしくはないか。
濡れたあさがおに重なるようにあらわれるかつての鹿。人の声のしない場所に生きている動物(逝くものとして全力を挙げて?)。近くの空と柔らかにみえる地面のあいだに急に投げ込まれる物騒な血肉。思い出は倒壊する日を建つ家に。
正直うまくいえない。これとは違った印象をもったものもあったと思う。どうすれば、というような感覚はいまもある。
今日という日にこれを言い出すのはずるいことかもしれない。でもやはり、本を開いたばかりの扉から続くものを無視できない(当たり前か)。
あれは、おれのものではなかったといえるのか、どうか。
記憶ですむならおぼえておく
必要なんてないとおもった
(「家に帰る人」)
酔い歌いさまようひとよ安らかに眠れ