Lesson

読んだり、飲んだり

共振

「シングストリート 未来へのうた」という映画を観に行った。今日が映画の日だからということじゃない。東京国立近代美術館フィルムセンターで「EU FILM DAYS」という催し物をやっていたので、それでだ。アイルランドはダブリンの映画らしい。

午前中の野暮用から逃げるように飛び出したら、思いのほか早くついてしまったので、わけのわからない中華料理屋に入って、おふくろが家で作るようなラーメンと半チャーハンを食った。とりたててうまくもまずくもないのが、昔、ばあちゃんちでよく頼んでいた出前のラーメンを思い出させた。当時はラーメンの上にのったメンマがたまらなく好きだった。それが竹であるのには全く気づかず、こういう食い物なんだと思って食っていた。ばあちゃんはそれをシナチクと呼んでいて、よく「ほら好きだろシナチク」といって俺によこした。だから、俺もそれはシナチクなんだと思って食っていた。シナチクとメンマが同じものであるのに気づいたのはもっと後だ。同じことはチャーハンにも言える。ばあちゃんはチャーハンを焼き飯と呼んだ。チャーハンと焼き飯の区別はいまも曖昧だ。

映画館に入場すると、そこそこ客が入っていた。平日の午後ということで、年配が目立つ。ちらちらとカップルもいる。NHKドラマ原作の邦画でも流れそうな雰囲気にがっかりしていると、目の前の席にノースリーブがまぶしい若い女性が座った。すごく美人だった。嬉しくなって、トイレが近くなるのもお構いなしにコーラを買った。

良い映画だったかどうかといわれると正直わからない。ただ、諸々の良し悪しはともかく、くらってしまう映画というのはある。これはまさにそうだった。身につまされた。

別に俺の地元もそこまで荒れちゃいなかった。喧嘩もあったし、万引きや自転車泥棒なんていうのもあった。クスリの類はなかったと思う。シンナーがせいぜい。でも、そんなことはどこの地域でもあっただろうことで、やっぱりそう荒れてたわけじゃない。

我が家は本当に安穏で、両親も離婚の危機になかったし、経済的にも不自由なかった。ただ、周りはそうじゃなかったかもしれない。保育園から小中と一緒に育った幼馴染は全部で9人いるが、そのなかで名字が変わらなかったやつは3人だけで、そのうちの1人も高校を卒業してまもなく名字が変わったとおふくろに聞いた。

当時としてはまだレアだったのかもしれないシングルマザーも、外国人もそれなりにいた。公営団地はいつもいっぱいでなかなか入れないらしかった。

公立の学校は学級崩壊に至らないまでもほどほどに荒れていて、スクールカーストなどという面倒なものはなく、いじめるやつといじめられるやつ、そして特に存在感のないやつぐらいにしか分かれていなかった。体罰など全く問題にならず、教師に理があってぶん殴られることもあれば、理不尽にぶん殴られることもたまにはあった。

ただそういったことも含めて全部当たり前だったから、こういう風に見られるようになったのはわりと最近のことだと思う。

この映画をつらぬくダブリンの一地域の陰鬱で閉塞的な感じが、地元と部分的にでもオーバーラップしたとき、もう距離をとることができなくなってしまった。しかもバンド!こんなことがあるか!

イケてないやつがイケてる女の子の気を引こうと、イケてないやつを集めてバンドを始める。兄貴の受け売りで。最初は好きなバンドのコピーをする。もちろん下手くそ。でも録音しちゃう。自分たちの曲を作ることにする。1フレーズごとに「すげぇ」「やべぇ」とお互い盛り上がる。出来上がった曲は何かに似てしまうが、自分たちはそれが最高にイカしてると思っている。軽々と夢を語っちゃう。

第三者からみればどうしようもなくダサかったり、未来がなかったりするんだろうけど、やってるやつらは大マジだった。少なくともそのときは。

夢破れることもある(確かに、俺もかつてはジェット気流だった!)。現状はどんどん悪化していくかもしれない。それでも希望があるような、そんな優しさがこの映画にはあった気がする。ノスタルジーや幼児退行の類かもしれない。だけどやっぱり肯定は大切だ。救いだ。

思えば、作品そのものの話はほとんどしてない。そういう映画になった。