Lesson

読んだり、飲んだり

基準

なにも今回が初めてというわけではないけれど、作ろうとしてみて気づくということはある。

読まれようと考えるとき、どうやって読もうとしていたか、何を基準に選んでいたかを思い起こす。

まず、名前。

あっ、この作家の新作か、気になるな。といった具合。このとき、立ち読みなんかはあまりしない。冒頭の数行に目を通すことはするかもしれないが、そこでいまいちでも、気になっていた作家のものならとりあえず手に入れて読む。

次に表紙やタイトル。

自分好みのイラストやデザインが載っているものは手に取る。手持ちに余裕があればそのまま買うかもしれない。名も知らぬ作家の作品であっても、タイトルや煽りがよかったら中を見てみる。文庫なら裏表紙のあらすじも見るだろう。

さらに企画。

面白そうな組み合わせの対談や、インタビュー、レビューなんかはやっぱり気になる。作家の読書遍歴について書いているサイトがあったと思うが、ああいうのも見てしまう。特集も、今こそ漱石!みたいなざっくりとした大きなくくりほど、どこかしら自分の琴線に触れて読んでしまう。

こう考えていくと、作品の良さというのは手に取るときのきっかけにはならない。

しかし、大前提であり最重要事項なのは作品が良いことである。さんざん言ってきたが、やっぱり面白いものを読みたい。誰であれそうだと思う。

小賢しいことをあれこれ考えるが、結論としては面白さに基準を置くことを第一とするほかないのだろうと思う。何をやるにしても。

それから、できないこと、例えば音に聞こえた執筆陣を揃えて豪華な誌面を作るとか、プロモーションを大々的にうって集客するとか、そういったことを考えるより、我々だからこそできることをポジティブに考えていく必要がある。何かしらあるはず。

既存の物真似は場合を選ばないと、単に粗悪な模造品になりかねない。現状を鑑みれば、模倣の対象自体もそこまで頭抜けているわけではなさそうだと思っている。こと、形の面では。

げらげら笑いながら考えるくらいがたぶんちょうどいい。やりたいことが半歩ずれて悪ノリに差し掛かるくらいを目指したい。