これから
ある一文を書いてその次をよりよく書く、小説はその積み重ねなのだ、という語りは、ある一面では全くもって是だが、同時に、そうではないレベルが小説には避けがたくあるとも強く感じている。私は常に小説は線的ではないと強く感じている。読む時もそうだが書くときはなおさらそうだと思う。
— (∵`)<hiroki_yamamoto (@hiroki_yamamoto) October 23, 2019
その、非線形的なレベルは、物語という形で処理するか、描写対象で処理するか、象徴か、場か、人物か、主題か、身体か、等等、とある。総じてレイアウト(言葉の配置の必然に関わる論理設計)の問題であり、あるいは喩の問題だと考えている。
— (∵`)<hiroki_yamamoto (@hiroki_yamamoto) October 23, 2019
基本的に互いが互いを擦り減らすことはない。あるとすれば書く人間において抱え込める体積のレベルの問題だと思う。結果的に全てを最大限用い増幅させられた方が良い実験が行えるだろうという考えがある。結果的にはこの私がどこまで場として酷使可能かであり私には象徴も主題も身体も物語も近しい。
— (∵`)<hiroki_yamamoto (@hiroki_yamamoto) October 23, 2019
よくできた友だちの発言に勝手に慰められた気持ちになるなんてクソだせえと自分でも思うけど、こういうことなんじゃないか。
ひとほど熱心に取り組んだこともないし、経験も知識もないし、だから言語化もぜんぜん出来ないけど、自分も近いことに気付こうとしているんだとおもう。おもいたい。