Lesson

読んだり、飲んだり

古い日記

和田アキ子ではない。しかし、あの曲はとてもいい。驚くほどファンキーで、気持ち良い。ブラックミュージックの要素を含む歌謡曲はどれも良い。

始めてから幾日も経っていないというのに、書くことが思いつかなくなった。とはいえ、それはいつものことである。日記など満足に続いたためしがない。

中途半端に終わった去年の日記を引っ張り出して眺めてみたところ、そう遠くない過去であってもやはり懐かしさは感じるらしい。始めたときは何かしらの思惑があったのだろう。年初から年度始めにかけては気合の入った記述がよく見られる。夏に入る頃にはほとんど空白となっている。

愛宕神社の境内へと続く長い階段を登ったものの、参拝客の多さに辟易として別の神社に初詣に向かったこと。仲間内で話題になっていた『インターステラー』を観に行ったこと。行きつけの汚い飯屋だか飲み屋だかで店主から、ホワイトリカーをビールで割った「労働者の酒」をご馳走になったこと。自宅の引越し。四国への旅行。

面白いと思ったのは、去年もその前の年の日記を読み返していたということだ。一昨年の日記には、友人のゼミがひどいものであるということに対する同情、心配が書かれていたようだ。去年のものには、その状況が大きく変わり、担当教授が情熱を取り戻したこと、その教授が友人に目をかけていることなどが、自分のことでもないのに、喜ばしげに書いてあった。

最近になって『ボヴァリー夫人』の新訳を出したこの教授を、自分たちは「ゴッドファーザー」と呼ぶ。禿げ上がり方がマーロン・ブランドのようだからだと思う。サングラスをかけたときの姿はアメコミのヴィランのようだと個人的には思っている。