Lesson

読んだり、飲んだり

速度

紙に書いたものをもう一度パソコンで書くのが面白い。

考えてみれば、自分が喋るときと似ているのである。生来の喋りで頭に浮かんだことを即座に口に出す。ともすれば浮かばずとも喋りだす。何かについて喋っているときに次のことが浮かんでしまって、収拾がつかなくなる。どもる。噛む。あるいは浮かんだことを後回しにしてしゃべり続けた結果それを忘れる。何が浮かんだのかは思い出せないにもかかわらず忘れたという感覚だけは異常に強く残っていて悶々とする。そうかと思えば忘れたはずのことが急に帰ってきて話が逸れる。

口が頭に追いつかず、頭が口に追いつかない。だから思っていることを素直に言うというのはなかなか難しい。そして素直に言うとたぶんつまらない。

忘れる感覚はパソコンよりも紙の方で露骨にあらわれる。考えていたことが置き去りになるのはパソコンのほうが多い。だからあわせて使えばいいんだろうな。

購入リスト

ここ最近、課題やら何やらで読まなければならない本が増えている。時期柄、新入生へのガイドとして夥しい数の推薦図書が挙げられる。研究会なども活動を始める。そうするとどうしても目を通すべきものが山積することになる。

とりあえず、買った本は次のようになる。

多和田葉子『聖女伝説』

本谷有希子異類婚姻譚

谷崎潤一郎『卍』・『蓼喰う虫』

藤枝静男『虚懐』

ジェラール・ジュネット『物語のディスクール

尾崎紅葉三人妻

大澤聡『批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇』

柄谷行人編『近代日本の批評Ⅰ・Ⅱ』

和田敦彦『読書の歴史を問う:書物と読者の近代』

日本近代文学館編『近代文学の至宝 永遠のいのちを刻む』

Junot Diaz『The Brief Wondrous Life of Oscar Wao』

Thomas Pynchon 『Inherent Vice』

研究書は基本的に図書館で借りているが、そろそろ手頃なものは手元に置いておいたほうが良い気がしてちらちらと集め始めている。

問題はちゃんと読めるかということだ。飾りになってしまいそうで怖い。特に最後の二つ。英語の勉強にもなればと買ってみたものの驚くほど進まない。翻訳ってやはり驚異だ。

How are you ?

熊本が揺れているらしい。実家に帰ったあいつは大丈夫か。(そういや、どうして帰った)

もう随分と前、度重なる喫煙ですっかり黄ばんでしまった部屋の中で、東北の地震の話をしたのを思い出す。東京は揺れる。水道水は飲めない。実家から安否の確認が始終くる。醤油が塩辛い。味覇と歪な名入の食器。麻婆豆腐とカレーへの信頼。トイレに貼った紙紙。一人一つの灰皿。間接照明は副交感神経を和らげる。

書いてるか?

俺も書かなきゃな。

近況

学校が始まった。またしても後輩ができた。去年の二の舞にならないよう最善を尽くした。いまのところうまくいっていると思う。

花見をした。待ち合わせでグダりイラついた。そういえば、こういったことでカリカリする人間だったなと思い出した。長くはもたない。色々考えながら桜を見ていたら、合流するときには落ち着いた。

独り暮らしには憧れる。だが、きっと飽きるのも早い。衣食住が如何に満ち足りても、独りはしんどいと思う。このままの状態でもう少し都心に近ければ。

ゴッドファーザーの講義を受けることになった。当面は金井美恵子である。彼はあいつらの物真似の倍以上の速さで、思ったよりもたくさん喋る。朗らかなハゲは尊い。

春にはいつも考えることだが、やはり勉強しようと思う。漠然とした不安を感じている暇があるなら、ということだ。身の振り方も具体的に見据えていかなければならないが、実力がなければそれも机上の空論だ。

自由に使える金も限られてきた。良い頃合だと思う。むやみやたらに人を飲みに連れ回すことは控えようと思う。

無題

ここのところ母が忙しい。だから家の事は俺がなんとかしようと思った。

夕食にハンバーグを捏ねた。うまくできたなと心底思ったとき、死にたくなった。

いまはマグカップでウイスキーを飲んでいる。

弟が明後日にも北へ帰る。今年は着なくなったシャツを餞別としてやった。

リラックマのグラス目当てにドコモのポイントカードを作った。あと22ポイントでもらえることをレシートで確認して、それからウイスキーを買った。

スパイダーマンは恐怖をごまかすために軽口を言う。"Your friendly neighborhood--"

学会のババアがうるせえ。親父はもう長いこと行ってない。ばあちゃんが死んだら俺も行かない。ひ孫は多分無理、ごめん。

「天国じゃ、みんなが海の話をするんだぜ」

今日の「ホワイトハウスダウン」はどうだった?スニーカーが最高だったな!

おやすみ。

辞去

今度の金曜日、ながく働いてきた職場を離れることになっている。前の職場と合わせれば、ざっと5年以上はこの仕事をしてきたことになる。しんどさもあったが、おそらく向いていたのだろう。お節介と軽口でなんとかやってきた。

金を稼ぐためにはじめたはずで、与えられたことをこなすだけのつもりだった。理念など大層なものは持ち合わせていない。子どもが好きなわけでもない。しかし、続けていくうちに、その責任の重さに思い至らないではいられなかった。

自分の不用意な発言が彼等の人生を狂わせることがある。自分が教えそびれたものがきっかけで目標に届かないこともある。あのとき、あれを言わなければ、あれをやっておけば……。

自分の影響など、彼等のながい人生からみれば大したことのないもので、むしろ良い思い出として振り返ることができるものかもしれない。しかし、その時期の、あらゆる可能性があったはずの瞬間を閉じてしまったとしたら、それは取り返しのつかないことだ。たかだか数年間とはいえ、その短い時間が言いようもなく自身の人生に影を落とすということは往々にしてありうる。

そこまで考えることは傲慢であるかもしれない。自分の存在が彼らの人生に大きく干渉しているなど、ただの妄想に過ぎないかもしれない。それでも悔いは残る。

生き急ぐ

新聞に挟まったドコモの広告が宣伝する学割は対象年齢が25歳までらしい。それを目にして、四半世紀に近い時間を生きてきたことに気付く。何もすることなく生き延びてしまったと思うほかない。

早熟の天才など枚挙にいとまがない。過去の偉人に思いをはせずとも、少し周りを見渡せば如何に自分が取り残されているかを感じることができる。

どうも最近は停滞の理由を環境に求めてばかりいたような気がする。大きさの割に生半可な見通しで足踏みを正当化していたのだと思う。

環境を変えることはやはり目的としてある。だが、その手段に対する考えがやはり半端だった。格好をつけ、見通せているようなふりをしていた。これはいけない。とりあえず遮二無二、目前のことに心血を注ごうと思う。

人生は意外と短いのだろう、きっと。「現状維持では後退するばかりである」