Lesson

読んだり、飲んだり

テレキャスター

自分の難儀な性格をすっかり表すものがある。ギターである。
象牙色のテレキャスターカスタム。fenderJapanのものだ。
購入したのは高校1年と2年のあいだだったと思う。お年玉とバイト代を合わせて買った。
ピックガードは黒でメイプル指板。ボリューム・トーンのノブは4つ。
フロントにハムバッカー、リアにシングルコイル。
一言でいうと、「どっちつかず」である。
通常、テレキャスターというギターはフロント・リアピックアップともにシングルコイル、エレキギターの原型とも言われるその音はソリッドでしゃきしゃきと歯切れがよい。
ではハムバッカーはというと、レスポールがその代表で、ブーミーで分厚い。
このギターはそれらの良点を両取りしようという無茶が行われている(そもそもがfenderのギターにハムバッカーを載せてくれという無茶な発注から生まれたギターである)。
そして、まさにその両取りに惹かれて、このギターに決めたのだった。
これだけならば単にごうつくばりなやつということになるのだが、根はもう少し深い。
当時、好きで追いかけていたバンドは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONBUMP OF CHICKENなどだった。
お気づきの通り、テレキャスターに憧れる環境にはなかったのである。
なぜテレキャスターに関心を持ったのかといえば、これはもう間違いなく天邪鬼な性格のためだ。
教則本や雑誌が初心者に勧めるギターはたいていレスポールストラトキャスターだった。
プロの使用機材もメインはそのどちらかで、テレキャスターはサブのなかに紛れていることが多かった。
あまり他人と同じものを持ちたくないという幼さから、知らず王道から外れたものに目が向くようになっていった。
とうとうギターを買うとなったとき、色んなミュージシャンのインタビュー記事を読んだ。
「最初のギターは見た目で選んだ」
「結局、自分がいいなと思ったものを使うようにしている」
こういった発言を心に留め置いた私は、お茶の水に出かけるといくつかのコードと覚えたばかりのスケールをこれ見よがしに試奏しながらギターを選んだ。
バンドではリードをやると決めていたから、テレキャスターの抜けのよく鋭い音がうってつけに思えた。
しかし、それは好きなバンド、コピーしたいバンドの音とはだいぶ違う。葛藤の末に選んだのがテレキャスターカスタムだった。ありていにいえば、妥協である。
のちのち、それがストーンズキース・リチャーズも愛用していたタイプのギターだと知るや、リスペクトだと吹聴した。ストーンズも好きだったのでまるきり嘘というわけではなかったが正直、ビートルズのほうが聞いていた。
打算と見栄っ張りをこれでもかと示すテレキャスターカスタムだが、不思議と後悔はない。
音圧がいま一歩足りないfenderハムも、少し野暮ったいスイッチ配置も可愛らしい。これは個体の問題かもしれないが、惜しむらくはもう少しサステインがあればというところである。
同型のギターを持つミュージシャンに関心を持つようにもなった。
別のギターを手にしていたらTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやDr.Feelgoodなんかを聞くこともなかったし、カッティングからファンクやブルースに興味を広げていくこともなかった気がする。
でも、いまは鳴りのいい箱モノが欲しい。

 


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"マシンガンだね!" 

図書館

地元の図書館に出かけた。

地域で最大の場所であり、三階建てだ。一階と二階にそれぞれ閲覧スペースがある。

三階はホールになっていて、地域の戦時資料が常設展示されている。しかし、ここには一度も入ったことがないのでよくわからない。入っていく人すら見たことがない。館内の掲示板に隙間なく貼られた地域の催し事を知らせるポスターは、時期によって頻繁に貼り替えられるというのに、三階の展示はいつも戦時資料である。もしかしたら、展示などはなからやっていないのかもしれない。もぬけの殻だ。

目当てだった「雑誌・新聞コーナー」は一階、玄関から入ってすぐにある。

知っての通り、「雑誌・新聞コーナー」というのは「行き場を失った者たちの吹き溜まり」の別名である。平日の昼日中になぜか暇を持て余してしまっている者たちがとりつかれたように声もなくうごめいている。利用者の多くは必然的に老人である。

彼らは朝も読んだであろう新聞を開いてみたり閉じてみたり、近づけたり遠ざけたりしながら、隅から隅まで記事を読んだり読まなかったりしている。それを幾度となく繰り返す。

端的にこの世の終わりである。三途の渡しの待合所と言われれば信じる。

しかし、何もすることがないときに文字を追うことを選ぶというのはすごいことかもしれない。今どき、金をかけずに暇が潰せる場所など腐るほどありそうなものだが、彼らは新聞を読んでいる。どんなに消極的な理由からそうなっているとしても、やはりすごいと思うし、面白い。

彼らに混ざって文芸誌を読んでいると、フロアの端から何やら声がする。
「おい、何やってんだ、お前!」
当然、素知らぬふりをする。この地域の老人はむやみに気性が荒い。
ほどなくしてスタッフが声のした方へ駆け寄る。
「どうされました?」
「いや、こいつ、失禁しちゃってるよ」
周囲に聞こえているはずだが、誰も反応しない。みんな手もとに目を落としている。
スタッフが代わる代わる向かっては何かしら世話をしたあとに、ひとりの老人男性が脇を抱えられて外へ連れていかれた。冬だというのに半袖のシャツに、鼠径部が露わになるほどずり下がったズボンのいで立ちで、片手にスーパードライのロング缶を持っていた。気の毒だなとも思ったが、意外にいいもん飲んでんじゃねぇかとも思った。

その後、二階に場所を移して読書を続けた。社会人席などというわけのわからない席ができていた。子どもはお断りということだろう。しかし、うるさいやつというのは年齢や立場に関係なくうるさい。「静かな人向け」とでもすればよかったと思う。

いちばん奥まった電源のある席に陣取ったら学生に囲まれた。みんなちゃんと勉強していた。声も抑えていた。抑えることでより目立っていたけれど。

彼らは物音に敏感に反応する。席をたつときも、戻るときも視線を浴びることになる。10分から15分くらいに一度はスマホを確認する。グループで勉強しているところは、そのうちの一人が必ず飽きている。

ここが不思議と落ち着いた。見栄をはろうとするからかもしれない。息止め競争みたいなものだ。

愉快だった。受付が民営化されて妙にハイテクになってしまったことを除けば。

出足

読まれるためには手段を選ばないように、そこが確かに足掛かりとなるように、そして何より面白そうだからいろいろやったが、そもそも自分自身が読まれるべきものを何一つ成してないじゃんかってことで鍛え直します。直すもくそもないっちゃないけど、やらないよりマシだろう、たぶん。

カレンダー

いまさら部屋にカレンダーを貼った。管理するほどスケジュールが詰まったことはなかったので、いままではグーグルカレンダーなんかで済ませていたが、やはり長期的に物事をみる必要があるということで導入した。紙をめくればずっと先の予定まで見られるというのは大事なんだと思う。

よく考えればもう半年後には論文を出して、テストを受けて、ということをしなければならない。もう少し急がなければ。

何かにつけマネジメントができないと大成しないらしい。そりゃそうだ。ビジネス書でも読もうかな。

共振

「シングストリート 未来へのうた」という映画を観に行った。今日が映画の日だからということじゃない。東京国立近代美術館フィルムセンターで「EU FILM DAYS」という催し物をやっていたので、それでだ。アイルランドはダブリンの映画らしい。

午前中の野暮用から逃げるように飛び出したら、思いのほか早くついてしまったので、わけのわからない中華料理屋に入って、おふくろが家で作るようなラーメンと半チャーハンを食った。とりたててうまくもまずくもないのが、昔、ばあちゃんちでよく頼んでいた出前のラーメンを思い出させた。当時はラーメンの上にのったメンマがたまらなく好きだった。それが竹であるのには全く気づかず、こういう食い物なんだと思って食っていた。ばあちゃんはそれをシナチクと呼んでいて、よく「ほら好きだろシナチク」といって俺によこした。だから、俺もそれはシナチクなんだと思って食っていた。シナチクとメンマが同じものであるのに気づいたのはもっと後だ。同じことはチャーハンにも言える。ばあちゃんはチャーハンを焼き飯と呼んだ。チャーハンと焼き飯の区別はいまも曖昧だ。

映画館に入場すると、そこそこ客が入っていた。平日の午後ということで、年配が目立つ。ちらちらとカップルもいる。NHKドラマ原作の邦画でも流れそうな雰囲気にがっかりしていると、目の前の席にノースリーブがまぶしい若い女性が座った。すごく美人だった。嬉しくなって、トイレが近くなるのもお構いなしにコーラを買った。

良い映画だったかどうかといわれると正直わからない。ただ、諸々の良し悪しはともかく、くらってしまう映画というのはある。これはまさにそうだった。身につまされた。

別に俺の地元もそこまで荒れちゃいなかった。喧嘩もあったし、万引きや自転車泥棒なんていうのもあった。クスリの類はなかったと思う。シンナーがせいぜい。でも、そんなことはどこの地域でもあっただろうことで、やっぱりそう荒れてたわけじゃない。

我が家は本当に安穏で、両親も離婚の危機になかったし、経済的にも不自由なかった。ただ、周りはそうじゃなかったかもしれない。保育園から小中と一緒に育った幼馴染は全部で9人いるが、そのなかで名字が変わらなかったやつは3人だけで、そのうちの1人も高校を卒業してまもなく名字が変わったとおふくろに聞いた。

当時としてはまだレアだったのかもしれないシングルマザーも、外国人もそれなりにいた。公営団地はいつもいっぱいでなかなか入れないらしかった。

公立の学校は学級崩壊に至らないまでもほどほどに荒れていて、スクールカーストなどという面倒なものはなく、いじめるやつといじめられるやつ、そして特に存在感のないやつぐらいにしか分かれていなかった。体罰など全く問題にならず、教師に理があってぶん殴られることもあれば、理不尽にぶん殴られることもたまにはあった。

ただそういったことも含めて全部当たり前だったから、こういう風に見られるようになったのはわりと最近のことだと思う。

この映画をつらぬくダブリンの一地域の陰鬱で閉塞的な感じが、地元と部分的にでもオーバーラップしたとき、もう距離をとることができなくなってしまった。しかもバンド!こんなことがあるか!

イケてないやつがイケてる女の子の気を引こうと、イケてないやつを集めてバンドを始める。兄貴の受け売りで。最初は好きなバンドのコピーをする。もちろん下手くそ。でも録音しちゃう。自分たちの曲を作ることにする。1フレーズごとに「すげぇ」「やべぇ」とお互い盛り上がる。出来上がった曲は何かに似てしまうが、自分たちはそれが最高にイカしてると思っている。軽々と夢を語っちゃう。

第三者からみればどうしようもなくダサかったり、未来がなかったりするんだろうけど、やってるやつらは大マジだった。少なくともそのときは。

夢破れることもある(確かに、俺もかつてはジェット気流だった!)。現状はどんどん悪化していくかもしれない。それでも希望があるような、そんな優しさがこの映画にはあった気がする。ノスタルジーや幼児退行の類かもしれない。だけどやっぱり肯定は大切だ。救いだ。

思えば、作品そのものの話はほとんどしてない。そういう映画になった。