Lesson

読んだり、飲んだり

一日

「今日は一日充実していたか」などと問うことはもはや錯乱以外のなにものも示さないのではあろうが、それでももしかしたら必要な振り返りかもしれない。自分のうちに基準が存在しないまま努力を続けるというのは苦行もいいところだ。どんな些細な事であっても成したことを指折り数えてから床に就いたほうがよく眠れるに違いない。

基準の達成とは要するに、今の覚束ない毎日の営みから何かひとつ逸脱してみせるということだと思う。煙草を吸わないでみる、違う駅で降りてみる、挨拶からさらに話しかけてみる……。安い啓発だと笑えてきたが、まあいい。

もしも明日、死んでしまうとしたらという恐ろしすぎる想像が、そういった行動を後押しするらしい。とてもまともなものにはなりそうにないが、どうなのだろう。しかし、思い切りの悪さが今のうだつのあがらなさにつながっているのだから、死はともかく、やってみせろというわけだ。そのうちに何かあればめっけもんである。