Lesson

読んだり、飲んだり

敗北宣言

3年目、やります。

うっかり認めてしまったら楽にもなったが、一方でプライドの置き場に困っている。大事の前の小事、高く跳ぶためには低く屈まなければといってみたところで、やはりうまくできなかったことに目がいく。

決定的な能力の不足。棚上げにはできない。ちゃんとやってるやつはちゃんとやってるんだ。他人と比べるなとか自分のペースでとか、それが重要なこともあるのは知ってはいても、この場合は違うだろうと思う。

焦りも後悔もある。それでもなおと開き直るのもどうだろうか。自分の周りの状況を引き合いに出して自罰的に振舞うことはいくらでもできるが、どうにも落ち着かない。

やはり敗けたのだなと思う。相変わらず馬鹿な認識だが、これが一番しっくりくる。翻って、そもそも今まで勝てたことなどあったのだろうか。慰めにもならない。

自分を許せという言葉をかけてくれた友人には感謝しているが、無理そうだ。しかし、そういう言葉に甘えられる瞬間はちょくちょく欲しい。どうしようもない。

来年はできるだけ動く年にしたい。負荷をかける必要があると思う。留まり方にも良し悪しがある。留まって失敗するのはもういい。

最後だけ妙にポジティブだ。がっかりする。

散歩

Instagramの使い方がやっぱりよくわからなかったのでこっちにあげる。

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譜面台を持参し川に向かってトランペットを練習している女の子が何よりも素晴らしかったが流石に撮るわけにもいかず、そばの階段に座って煙草をふかしながら、音階をだんだんと上げたり下げたりする基礎練習を延々と聞いていた。

そろそろ酔い

酒にあかせて書いてみようかと思って見事に失敗している。

新しく始めたバイトは正直、つまらない。自分がいる意味が特に感じられない。仕事の内容も一人でできる。家でもできる。社員の皆さんはいい人。同族の匂い。

ラジオばかり聞いて過ごしている。地上波もネットも。お便りは思いつかない。自分にそう大したネタがなく、頭の回転も鈍いことが再認識できてよかった。気持ちの充実がリスナーの耳へと。

結局、ブロックバスターものが好き。しかし、書いてきたものはすべて越えるべき壁を越えられず錯乱する話か、越えられないということを認めてそれを良しとするものばかり。乗り越えて成長というエンターテインメントの基本を守ってみたい。

友達の家のギターはどうしてこうも鳴りがいいのか?音楽に詳しくない友人のため、ハロプロの曲をいくつか覚えた。「情熱の薔薇」をなぜ弾かなかったのか。もう一度行こう。今度はもっと良いワインを持って。

弟が帰ってきたが、これはまぁ今度。

文フリの申し込み、すっかり忘れてた。今日やった。抽選落ちたらどうしよう。出ないのは別に構わないんだけど紙にしたいなぁ。

スマホが古すぎてポケモンGOは出来ない。

ゴジラはもうちょいしたら見に行くよ。

教え子が地元から離れないから、社会人から中学生までみんなと会う。

さっき瓶が空いた。もう寝ます。

物欲

最近、むくむくと物欲が湧いてきて困っている。今回は文房具を少し買い足した。その中でもわりと当たりというか発見だったのは、0.7mmのボールペンが意外に使いやすかったことだ。今までずっと0.5mmばかりを使ってきていたが、よく考えれば私の字は確かに大きいので細いペン先で書いているとどうも見栄えが悪いというか惨めであって、しかも掠れたりもしていた。速度も出ない。こう考えてみると自分が0.5mmを使っていたことが不思議に思えてくる。

あわせてA4のノートを買った。スケッチブックで有名なマルマンのものだ。流行りにのって方眼のものを買ったが果たして使いこなせるだろうか。いいノートを買うと必ず、土台無理な話であるというのに綺麗にまとめたくなってしまう。アイデア出しの為に使うというが、そういった使い方をするとトピックがページの中であちらこちらに散ってしまうのはきっとあまり賢くないせいだと思う。

あとはポストイットの超徳用パック。本に貼る用ではなく、メモ帳の代わりにできるような大きめのやつだ。450枚ともなるとまるでブロックである。とにかく書き散らしていきたい。

他にもいくつかタスク管理アプリを試してみたり、Gmailを整理したりしてみた。こちらはわりと早く飽きるだろう。まぁ、ものは試しである。

食わず嫌い

どうにもミーハーな気がして手をつけないものが往々にしてある。私の場合はそれは谷崎潤一郎である。この作家に言及しない作家や批評家、研究者は果たしているのだろうか。事実この作家の作品には抜群に面白いものが多い。しかし、言及する者の絶対数が大きいぶん、その中身はピンキリで「なんかエロい」とか「普通の小説っぽくない」みたいなものも散見される。こういった評価も谷崎の重要な一側面をおそらく(無意識にせよ)捉えているのだろうとは思う。そういうキャッチーさが何というか妬ましくもあって遠ざけていた。

今回、課題とされたこともあって何とはなしに短編をいくつか読んでいる。これがまた面白い。というか凄い。「刺青」や「秘密」の描写は驚くほどに流麗だ。粘っこくしつこいものもあるがそれにはしっかり必然性がある。これは確かにいろんなことを言ってみたくなるし、真似してみたくもなる。話の筋から言えば、「幇間」がとても良い。個人的な感懐からうっかり泣きそうになる。

実は「細雪」のようなものは一度も読んだことがない。折を見て読もうと思う。

一日

「今日は一日充実していたか」などと問うことはもはや錯乱以外のなにものも示さないのではあろうが、それでももしかしたら必要な振り返りかもしれない。自分のうちに基準が存在しないまま努力を続けるというのは苦行もいいところだ。どんな些細な事であっても成したことを指折り数えてから床に就いたほうがよく眠れるに違いない。

基準の達成とは要するに、今の覚束ない毎日の営みから何かひとつ逸脱してみせるということだと思う。煙草を吸わないでみる、違う駅で降りてみる、挨拶からさらに話しかけてみる……。安い啓発だと笑えてきたが、まあいい。

もしも明日、死んでしまうとしたらという恐ろしすぎる想像が、そういった行動を後押しするらしい。とてもまともなものにはなりそうにないが、どうなのだろう。しかし、思い切りの悪さが今のうだつのあがらなさにつながっているのだから、死はともかく、やってみせろというわけだ。そのうちに何かあればめっけもんである。