Lesson

読んだり、飲んだり

基準

なにも今回が初めてというわけではないけれど、作ろうとしてみて気づくということはある。

読まれようと考えるとき、どうやって読もうとしていたか、何を基準に選んでいたかを思い起こす。

まず、名前。

あっ、この作家の新作か、気になるな。といった具合。このとき、立ち読みなんかはあまりしない。冒頭の数行に目を通すことはするかもしれないが、そこでいまいちでも、気になっていた作家のものならとりあえず手に入れて読む。

次に表紙やタイトル。

自分好みのイラストやデザインが載っているものは手に取る。手持ちに余裕があればそのまま買うかもしれない。名も知らぬ作家の作品であっても、タイトルや煽りがよかったら中を見てみる。文庫なら裏表紙のあらすじも見るだろう。

さらに企画。

面白そうな組み合わせの対談や、インタビュー、レビューなんかはやっぱり気になる。作家の読書遍歴について書いているサイトがあったと思うが、ああいうのも見てしまう。特集も、今こそ漱石!みたいなざっくりとした大きなくくりほど、どこかしら自分の琴線に触れて読んでしまう。

こう考えていくと、作品の良さというのは手に取るときのきっかけにはならない。

しかし、大前提であり最重要事項なのは作品が良いことである。さんざん言ってきたが、やっぱり面白いものを読みたい。誰であれそうだと思う。

小賢しいことをあれこれ考えるが、結論としては面白さに基準を置くことを第一とするほかないのだろうと思う。何をやるにしても。

それから、できないこと、例えば音に聞こえた執筆陣を揃えて豪華な誌面を作るとか、プロモーションを大々的にうって集客するとか、そういったことを考えるより、我々だからこそできることをポジティブに考えていく必要がある。何かしらあるはず。

既存の物真似は場合を選ばないと、単に粗悪な模造品になりかねない。現状を鑑みれば、模倣の対象自体もそこまで頭抜けているわけではなさそうだと思っている。こと、形の面では。

げらげら笑いながら考えるくらいがたぶんちょうどいい。やりたいことが半歩ずれて悪ノリに差し掛かるくらいを目指したい。

ついさっき、先日のお祝い帰りに自分が送ったラインに気づいてゾッとした。

あまりにもひどい。

そもそも、お祝いだってのに遅れて行っては鯨飲馬食。連れの彼女に気を使わせ、帰りしなに知らないやつのケツをぶったたく。一人になりゃ意味不明なダルがらみ。

恐ろしいことに記憶も曖昧だ。左ひざに大きな青たんまでできていた。

酔っぱらったときの自制がまるきり利かなくなっている。笑える範疇をとうに超えた。だいたい今までだって、たまたま周りが笑ってくれるほど優しかっただけで、迷惑や心配はかけたおしだった。

てめえでゲーゲーやって野垂れ死ぬならまだしも、よそ様に手を上げるようになったらいよいよお仕舞いだ。

当分、飲むのはやめようと思う。一生って言いきれないのが情けない。

飲もうとしたらぶん殴ってくれ。

PAIN&GAIN

f:id:zaqbaran1432:20180318000155j:plain

マイケル・ベイの作。実話なんだそうだ。冒頭のスローモーションとか、終盤のごちゃごちゃした追いかけっことか、サービスなんだかどうかわからないような過剰さは嫌いじゃない。

もう少し馬鹿な映画だと思ってた。確かに馬鹿が馬鹿なことをするんだけど、なんだかわびしい。「やってやりたかった」奴が好きなんだろうな。

 

I'm a "doer"!

俺は「やり手」だ!

Daniel Lugo

泥のように。

安いウイスキーに酔う。

また臭いスコッチが飲みたいね。

 

生きてることの徒労のために。

まず一杯。

ウラニウム状の夜ともなれば。

こころもとなくなりますからね。

(及川均「わきめもふらず。ジグザグに。」)

オウバアキル

痛々しさは身につまされなければならないと信じている。

不意におとずれる暴力は淡白で鋭利なのにあとをひく(腫れた瞼から血が抜けるのに一週間はかかる)。

殴られたら痛いよな。捉え方は同じだ、いやらしくも好き。

自らが選びとってしまうと甘くなる。因果律は我儘ではないか?

だから、おおむね同意見だ。

 

私は

にんげんがすきなのだよ

 「ソナタ

テレキャスター

自分の難儀な性格をすっかり表すものがある。ギターである。
象牙色のテレキャスターカスタム。fenderJapanのものだ。
購入したのは高校1年と2年のあいだだったと思う。お年玉とバイト代を合わせて買った。
ピックガードは黒でメイプル指板。ボリューム・トーンのノブは4つ。
フロントにハムバッカー、リアにシングルコイル。
一言でいうと、「どっちつかず」である。
通常、テレキャスターというギターはフロント・リアピックアップともにシングルコイル、エレキギターの原型とも言われるその音はソリッドでしゃきしゃきと歯切れがよい。
ではハムバッカーはというと、レスポールがその代表で、ブーミーで分厚い。
このギターはそれらの良点を両取りしようという無茶が行われている(そもそもがfenderのギターにハムバッカーを載せてくれという無茶な発注から生まれたギターである)。
そして、まさにその両取りに惹かれて、このギターに決めたのだった。
これだけならば単にごうつくばりなやつということになるのだが、根はもう少し深い。
当時、好きで追いかけていたバンドは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONBUMP OF CHICKENなどだった。
お気づきの通り、テレキャスターに憧れる環境にはなかったのである。
なぜテレキャスターに関心を持ったのかといえば、これはもう間違いなく天邪鬼な性格のためだ。
教則本や雑誌が初心者に勧めるギターはたいていレスポールストラトキャスターだった。
プロの使用機材もメインはそのどちらかで、テレキャスターはサブのなかに紛れていることが多かった。
あまり他人と同じものを持ちたくないという幼さから、知らず王道から外れたものに目が向くようになっていった。
とうとうギターを買うとなったとき、色んなミュージシャンのインタビュー記事を読んだ。
「最初のギターは見た目で選んだ」
「結局、自分がいいなと思ったものを使うようにしている」
こういった発言を心に留め置いた私は、お茶の水に出かけるといくつかのコードと覚えたばかりのスケールをこれ見よがしに試奏しながらギターを選んだ。
バンドではリードをやると決めていたから、テレキャスターの抜けのよく鋭い音がうってつけに思えた。
しかし、それは好きなバンド、コピーしたいバンドの音とはだいぶ違う。葛藤の末に選んだのがテレキャスターカスタムだった。ありていにいえば、妥協である。
のちのち、それがストーンズキース・リチャーズも愛用していたタイプのギターだと知るや、リスペクトだと吹聴した。ストーンズも好きだったのでまるきり嘘というわけではなかったが正直、ビートルズのほうが聞いていた。
打算と見栄っ張りをこれでもかと示すテレキャスターカスタムだが、不思議と後悔はない。
音圧がいま一歩足りないfenderハムも、少し野暮ったいスイッチ配置も可愛らしい。これは個体の問題かもしれないが、惜しむらくはもう少しサステインがあればというところである。
同型のギターを持つミュージシャンに関心を持つようにもなった。
別のギターを手にしていたらTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやDr.Feelgoodなんかを聞くこともなかったし、カッティングからファンクやブルースに興味を広げていくこともなかった気がする。
でも、いまは鳴りのいい箱モノが欲しい。

 


WILKO JOHNSON SPECIAL PLAYING ANALYSIS|ウィルコ・ジョンソン直伝奏法セミナー

"マシンガンだね!"