Lesson

読んだり、飲んだり

レッセフェール

ユリイカの書体アンケートに友人たちが回答していたので、ちらりと立ち読み。

1.好きな書体
2.書体に何を求めるか
3.どんな書体が作りたいか・欲しいか

こんな感じのアンケートだったと思う。
好きなのはやっぱり「リュウミン」だなあ。よく使うし。
おれが自分の責任において版面を組むときは、基本的に誰のどの作品でも本文は「リュウミン」にしてる。
こだわりみたいなものはあるっちゃあるし、ないっちゃない。
端的に言えば「見慣れている」こと。

もっと極端に簡単にパクれることと言ってもいいかもしれない。
紙の、文字の物質性を見逃すくらいに「見慣れている」こと。
作品というかたちと紙や文字のかたちが共振する瞬間なんて受け手のほうで勝手に見つけたつもりになってほしいし、その方が良いと思ってる。
こちらから可能性を埋め込まない。埋め込みまくってひらくっていう手もあんのかな。しんどいし、できる気しないからやらないつもりだけど。

デザインしないというデザイン。カッコつけすぎ?単なる手抜き?気に入らなかったらそっちで直していいよ。せっかく紙でやってんだからさ。
だいたい用意したようになんか読まないじゃんというのが基本線。テキトーに赤線とかマーカーとか引いて読むじゃん。場合によったら落書きしたり。
で、それがめっちゃ面白い絵になったりすんじゃん。それでいいじゃん。
乱丁とか落丁とかあると少し嬉しくなったりするじゃんってこれは書体とあんまり関係ないか。
だから欲しい書体ってなると両極端になりそう。
めちゃめちゃクセのない伝達機能の側面に特化した透明を装えるものと、クセの強いグラフィカルなもの、手書きみたいなやつとか。絵みたいな文字って作るの面倒なんだよね。使えるところが限られるわりには。
あと誰か気持ちのいいゴシックの使い方教えてください。数字くらいにしか使えていません。助けてください。

 

 

 

 

www.youtube.com

Logicの『YSIV』

 めっちゃ良いじゃん。

Wu-Tang Clanが関わってるアルバムってことしか知らなかった。

 

ムック川上

honto.jp

ひさびさに大きな本屋に行ったらこんなの見つけてびっくり。

けっこう豪勢な作り。

執筆陣も見知った顔ばかり、うっかり早稲田文学の別冊かと思った。

いやぁ、画になるってのはとんでもない才能だ。

美人ってのもあるけどさ、そういうんじゃなくて映えるのよ、正しく。

書くものも当然魅力的だけど、強さが、強い。

この作りで成立する人、そういないと思う。あと村上春樹くらいかなぁ。

いいなぁ、こういうの、やってみたいなぁ。

1/29

集団として何を目指すのか打ち出すべきなんだろうなとは自分としても思う。

だけど、集団として存在したくない気持ちが強い。出入り自由に、やることも方向性もバラバラで、っていうのが好き。これじゃなにが売りなのか、どこを見てもらいたいのかわからないっていのもわかる。実際やりようもない。

匿名性を薄めることはしたほうがよさげだけど、ちゃんと紹介したところで、その一回で二度と帰らないこともあるだろうしなぁ。ちゃんとした意味での同人はやりたくないってことなのかな、おれ。

外向きに舵を切ろうって考えも本来めっちゃまずいんだろうな。内向きにやって、評価してもらってなんとかおまんまが食えるってのを目指すのが常道だろう、いまんところ。同時代性を大事にして、いまコンスタントに作品を発表している人にフォーカスしてっていう。

やれることないわりに悩み過ぎの感もある。説得力もないし。しんどい。

結局、やりたいよね、面白いよねって言ってほしいだけかもね。

1/23

私たちの見も知らぬ戦争特集
いかにして私たちの編集長は大杉栄のような話を始めたのか。
信じていたものの解体が快感で楽しくて、みんなで一生懸命にやっていたら、解体するものがなくなっちゃったし、それでも無理に解体を進めて有る無しが同一平面上までいった挙句に身動きが取れなくなってきているから、だったら今度は組み立てる側に回るよって話。
いまやってることはあと30年後くらい、いったん死にかけてからやればいいや。
(無いを有るにしてまた無いにする。シャドーボクシングで相手をKOしまくる退屈なハードパンチャー。独り相撲の綱取り。有無の二項でモノ言うなって、項にもならずにマジで黙ってどうすんの。黙らすだけならおれも結構得意)
固有の死などない。作家は不死。作品は世界とは無縁に存在する。
極右から極左への転向。異議申し立ての苛烈さのなせる業。事理どついたれの立場など変えぬまま。根本は同じ。
おそろしく大正的な人間だよ、おれは。
今年のスーパーボウルNFCは久方ぶりの49ersですね。
AFCからRavensが上がってくれば面白かったのに。まぁTitansよりはChiefsのほうが観たかったからいいけれど。
「ららら科学の子」まだ最初のほうしか読んでないけどおもしろいね。

タイミング

触ってないTwitterから通知がぴこぴこやってくる。

千葉さんの小説の話を見て、何とも言えない気持ちに。

小説は批評に、批評は哲学に、そしてそれはすべてを包含する日常(ワンダーな現実)に集約されたんだなって。領域性の話ではなく。

違うか。違うな。それはいつだってそうだ。

これを強調するタイミングにきたということか。

言葉と世界を私で生きる。順不同可。

原理をできるだけプリミティブにプレゼント。

かつては励ましだったはずだ。論理的な袋小路に筆を折られないための。

手法として応答し見通しよくやり通し。

bullshit 退屈なライミング

終始そういうタイミング。