Lesson

読んだり、飲んだり

こころ朗らなれ、誰もみな

先日、母方の義伯母が亡くなった。

まだ定年間もない年の頃だった。

ここのところは新年の挨拶で顔を合わせるだけだった。

大学に入って親戚からのお年玉が当たり前にやんだとき、義伯母はぼくを座から呼び出してはこっそりポケモンだとかハローキティだとかのキャラクターが描いてあるポチ袋を控え目に、しかし決して断ることのできぬ剣幕で渡した。

酒が飲めるようになり、大人に混じるようになってもなお、アイスやお菓子を勧めてきた。さもご馳走のように。飛びつかない子供などいないかのように。

通夜を前にして伯父が入院したとの報が入った。

式の手はずが整えられたあとのことだったそうだ。

この頃の時勢もあり、ぼくと年かさの変わらない四人のいとこと、近ごろ力のない祖母、それに我が家だけで式を進めることになった。

通夜の晩、我が家を迎えた祖母は「私のほうが先に逝くはずだったのに」と何度も繰り返した。

祖母と義伯母はかねてから反りがあわなかった。伯父との結婚のいきさつに原因があるようだが詳しくは知らない。そもそもの性格もあったと思う。歯に衣着せぬ物言いをすることに躊躇しない祖母には、なにかにつけ気を回し他人を優先するきらいのあった義伯母の姿勢がうまく受け入れられなかったのかもしれない。

祖母は湯灌に際して義伯母の顔を何度もタオルで拭いながら「向こうで待っててね」と語りかけていた。

四人のいとこは気丈だった。

母を亡くし、父は病床にあるなかで、立派に喪主の代理を務めていた。

慣れることのないだろうすべてのことを取り乱すことなく、つとめていつも通りにこなしていたように見えた。教師一家らしく真面目にはきはきと。

それでも、化粧が済んでお棺を閉じるとき、また翌日、出棺のみぎわの最後の顔合わせで目を赤く腫らし、鼻をすすっていた。当然とたやすく言ってしまって良いのだろうか。推し測れはしない。

真っ当に生きていた人は死んでからも真っ当であれるのだろうか。

少なくとも苦しまずに済むのだろうか。

馬鹿な問いかもしれない。浅はかな宗教観からくる感傷的な物言いだと思われても仕方ない。

それでいい。死は論理の道具ではない。

こんなとき言葉は、と何度感じたことだろう。自分のなかでむなしく回るだけで、その回転が世界の巡りと重なる瞬間の夢想を表現と呼ぶのか。

そんなことどうだっていい。

いまはただ祈るばかり。