Lesson

読んだり、飲んだり

散髪

 人に会う用事ができると仕方なしに髪を切りに行く。ものぐさなのと気恥ずかしいのとで、散髪は苦手だ。できることならあまり行きたくない。しかし、私の髪はひどい天然パーマなので、放っておくと綿埃のように膨らんでしまう。これがお洒落なゆるふわカールだったなら、あるいはアフリカ系のような精悍な縮れだったなら、もう少し前向きになれたかもしれない。伸び放題の髪は恐ろしいほど如実に私のだらしなさを反映してしまう。中学二年生のころまでは直毛だったと話してもいまいち信用されないが、これはまったく本当で、つまり私の性根が真っすぐだったのもそのころまでだったということなのだろう。

 ここ数年はいつも同じ理容室に通っている。基本的には家族で経営しているような小さなところだ。格別上手くもないし安くもないが、気に入っている。まず、私を担当してくれる旦那さんが口下手なのが良い。初めて入ったときこそ、「今日はお仕事、お休みなんですか?」とか「カラーとかどうですか?」とか色々話しかけてきたものの、通い詰めるにつれ、聞くことがなくなったのか、だんだんと無口になっていった。いつしか、「いつもの感じで?」という旦那さんの声に「ええ」とか「はい」とか応えるだけでよくなった。私はやはり髪を切られているときにあれこれ話しかけられるのが苦手だ。お互いに話したいことも聞きたいこともない状態で、どうにかこうにか話題を絞り出す労苦をこんなところでまでしたくないと思ってしまう。そう考えると、単に世間話が苦手なのかもしれない。いつの間にか自分の世間が狭くなっていることにがっかりする。

 旦那さんは電話の対応も苦手なようで、予約の電話を入れるといつも、こちらが先に名乗るのを待つようなくすぐったい間のあとに「はい、○○です」という声が上ずって聞こえてくる。相当に緊張しているのか、お決まりのあいさつを噛むこともあるし、予約の時間を聞き違えることもある。一度、十一時に予約を入れたつもりでいたら、十七時だと伝わっていて気まずい思いをしたことがあって、それ以来、聞き違えるような時間に予約を入れるのはやめることにした。

 最近は繁盛してきたとみえて、店を訪れると先客があることがある。そうすると旦那さんはだいたいの髪型を整えたあと、シャンプーから先の行程を奥さんに任せる。奥さんは普段、女性のお客さんを専門に扱っているらしく、熱心なほどおしゃべりで次々に質問をぶつけてくる。「この近くにお住まいですか?」「お仕事、何されてるんですか?」「ご家族は?」あまりにもあけすけに聞いてくるので、不思議と不快感はないが、外聞の悪いだろう自分の身空をそのまま話すのも憚られて、つい嘘をついている。それも過去の体験や近くの人物をモデルにした巧妙な嘘を。それによれば、私は店の裏手にある十年ほど前に建てられたマンションに住む群馬出身の三十二歳であり、最寄り駅の次の駅前にある塾の講師であり、一歳半になる息子を持つ妻帯者である。

 我ながらよくもまあいけしゃあしゃあと嘘がつけたものだと呆れるが、この嘘が意外に奥さんの共感を呼ぶことが多い。というのも、あとになってわかったことだが、当時、奥さんは三十三歳であり、六歳になる男の子と二歳ちょっとの女の子があったからだ。育児の話は子どもの成長に合わせて絶えず更新されていくので尽きることがない。息子が学校生活に適応できるかという漠然とした不安、娘の噛み癖とオムツを外す時期についての相談……。

 聞きかじった知識で話を合わせるうちに、だんだんと嘘が自分に馴染んでいくような感覚が訪れる。自分の経験から出てきたものでないにもかかわらず、奥さんとの距離感が近くなっていることは実感として身に迫ってきて、それは何だかしばらく会わなかった昔馴染みに偶然出会ったときのようだと思った。しかし、当然それは錯覚で、知っている人間に、知っているという感覚を抱くのはこんなに段階的でなく、横断歩道の向こう側に姿を見つけたり、駅の改札ですれ違ったりした瞬間だけで言いようもなく知っていると気づく。

 こんな調子なので奥さん相手だと眠ったりすることができない。さらに繁盛してしまったら店を変えなくてはと思う。