Lesson

読んだり、飲んだり

D/Bm/D/Bm/G/A

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僕を忘れたころに

君を忘れられない

そんなぼくの手紙がつく

 

前略

すっかり春めいて、上着の要らない陽気が続いたいま、数日前に撮った写真では寂しくなるほどに花が咲いています。工事も佳境に入り、ものものしいフェンスは取り払われ、遊歩道では薄着の職人がのんびり散歩でもするかのように作業しているのが見えます。埋め立てられたと思っていた川は申し訳程度に残されていました。くるぶしまで浸かるかどうかといったところです。父が幼かったころはそれなりに深さがあって、暖かくなれば子どもが飛び込んで遊び、そしてそれなりに死んでいたそうです。ぼくのときにはもっと、いまよりは深く、膝くらいの深さで、町内会かなにかが放したドジョウを手掴みで捕まえる催し物に参加した記憶があります。それはイルカに乗った少年の置物があったところでこことはまた別の場所ですが。ですから、川というにはあまりに貧相なこの川がいまさらどうなろうとさして感慨にふけることもないと思っていたのですが、不思議と寂しいものですね。知っていますか、ドジョウを煮るときは鍋に豆腐をいっしょに入れると熱さを逃れようとしたドジョウがそこに潜り込み、美味しい豆腐ができることを。いつだったかテレビでこれは嘘だと言っていましたが、そんなことはありません。あのとき祖母は酒をたっぷり注いだ鍋のなかに生きたドジョウと豆腐を入れて……。祖母は田舎のお嬢様として育ったにもかかわらず、それはあの当時の人であれば当然なのかもしれませんが、ゴキブリやナメクジを素手で叩き潰す逞しさをもっていて、本当にぼくはその血を継いでいるのかと思わず考えたくもなり、しかし、年老いてもなおくるくると丸まる髪の毛を見てほっと胸を撫でおろします。そこに桜の降り積もるのもまもなくです。柳川鍋食べに行きましょうね。

草々