Lesson

読んだり、飲んだり

シャボンディ諸島は近い

北海道から帰ってきた弟はいまは都下のほうに暮らしていて、何かというと実家に帰ってくる。誰に似たのかたいそうなおしゃべりで、テレビCMごとにこの俳優は面白いだの、この新商品はあまり美味しくないだの、誰にともなくしゃべる。

幼い頃はひどく内向的で、口数が少ないわりによく癇癪を起した。親族など、大人に話しかけられるとはじめのうちは恥ずかしそうに首を傾げているが、耐えられなくなると相手の話の途中でわっと逃げ出してしまう。いまはそのときのぶんを取り返すかのようにしゃべる。独り暮らしの寂しさがそうさせるのだろうか。思うに根はいっしょなのだ。押し黙っていたあの頃と……。

大手食品加工メーカーの下請け会社に勤める弟は、自分のところで調理を行っている製品に敏感で、実家の冷蔵庫の中身や食卓に並んだ出来合いの総菜などを見回しては、これはうちで作っていると言ったりする。一日中、自分の体よりも大きな鍋をくたくたになりながらかき混ぜていれば見たくもなくなるというその顔はたしかに嫌そうではあるが、どこか誇らしさのようなものも滲んでいるように見える。それがとてもうらやましい。

自分はいま何を作っていると言えるのだろうか。作ったものはたくさんある。作ろうとしているものもまたそれ以上にある。だがしかしいったい何を。

家族に見せられるものが作りたい。実際に見せるだとかそういったこととは別に、それくらいの手ごたえを自分の中に持ちたいと思う。自分の中で作った世間というようななんとも間抜けな仮想敵よりも、身近な人たちに認められたい思いが募っている。自立のままならぬごくつぶしの自己愛の裏返しか。端的に堕落かもしれない。なれ合いの果て。ただ、人を見る目はあると信じて生きてきたので、これで合っている気がする。

やりたい、今年も。