善意の第三者
くたびれている。
べつだん忙しいわけではなく、むしろ暇なほうだと思う。
年が明けてしばらくしたころ、勤め先から人の姿が減った。近ごろ猛威をふるっているウイルスとはたぶん関係ない。
最近になってその理由がわかった。勤め先が傾きかけている。
いままでいた何人かについて、契約のかたちを変えて、常勤ではなく、フリーの外注先としたらしい。おそらく、そうすることで税金やらなんやらの関係で財政がいくらか有利になるのだろう。出入りが激しい業界だと思うので、誰かがいきなり来たりいなくなったりはよくあるのだが、これはなかなかにヤバい。
さらに、最近ようやく軌道に乗り始めたと思った案件が売れ行きの不調で頓挫した。準備段階をけっこう手伝ったので、これは直接的にくらった。雇われの身でも凹んだので、元締めはかなり精神的に追い込まれていそうだった。ここのところ、会うたびに運がどうとか言い出している。長々と話すわりには「人間万事塞翁が馬」みたいなところに行き着くものだから辟易している。
それでも、この状況が向こう何年も続かない限りはなんとかやっていけるくらいの体力はあるらしい。鵜呑みにはできないけれど。
こうした状況と関係はおそらくないだろうが、おれをここに連れてきた張本人が地元の大学かなにかに職を得て辞めることになった。去年からめっきり顔を出さなくなっていたからうすうす感づいてはいた。
こういった諸々が重なった結果として、シフトというか作業のサイクルが崩れてしまったものだから、暇なのに顔を出さなければならないといったことが増えてしまった。やろうと思えばいくらでも作業はあるのだが、どれもこれも緊急性がなく、それだってある程度から先は先方のリアクションがないと進められず、といった感じで、己に限って言えば、やることがないわけではないが暇という状況が続いている。そしてこれは不思議に疲れる。
最近、少し勉強している。善意とはある事実を知らないこと。
これでおれもラスコーリニコフだ。
長いものを読もうという気にまたしてもなっている。
カラマーゾフもガルガンチュアもたぶん必要だ。
町田康のいくつかも。
ふざけてなきゃやってらんねえよ。
そういう書き方であらためて金魚を供養したい。
いつかの酒が冷蔵庫で眠ったまま。
大吟醸は生ものだと聞いたから。